どうもー、こんにちは!
最近全然更新がないと思ったらもう日本なんです。
いやー、速かったなーと思いふり返ってみるとやっぱり長かったです。
小学生の頃は1日が長かったなーと、思い出してる感覚です。
初めての事だらけだったので、中身が濃いと言うか、充実したオーストラリアライフでした。
ワーキングホリデーは1年間有効のビザなのですが、結局オーストラリアには10ヶ月しかいませんでした。
いろいろときりがよかったのでそうしたのですが、その10ヶ月間をふり返ってみます。
もくじ
第一章 アデレード
アデレードはオーストラリアに着いて初めて生活した場所です。
合計1ヶ月半滞在しました。
オーストラリアに行くと決めてから1年が経過し、やっと来れたので不安4割・ワクワク6割といった感じでした。
語学学校
英語力が中学生レベルもなかった私ですが、フィリピンでの1ヶ月の語学留学のおかげで中学1年生レベルにはなれました。
しかし、まだまだ英語に対して不安と恐怖が残っていたのでオーストラリアでも語学学校に通うことにしました。
フィリピンでは日本人の友達ばかりでしたが、ここに来て初めて日本以外の国の人と友達になれました。
1ヶ月で卒業する予定でしたが、楽し過ぎて2週間延長して1ヶ月半通いました。
初めての飲み会ではハメを外しすぎて最終バスを逃して1時間半歩いて帰ったのはいい思い出です。
さらに帰り道にランドルモールにあるブタの銅像と自撮りしてみんなのグループトークに送信までしちゃいました…
かんじんの英語力ですが、フィリピンで習ったこととほとんど同じことばかりだったのであまりかわりませんでした。
ようやく新しいところに入りかかったところで卒業してしまいました。
しかし、違う国の人と英語で意思疎通を出来たことも新鮮で、英語に対する恐怖心が少しはやわらいだと思います。
また昼ご飯も英語恐怖心から初めの頃はファストフード店にすら入れずにフードコートでアジア系のものばかり食べてました。
途中からはハングリージャックスというハンバーガー屋さんにばかり行っていました。
名前は違いますが、バーガーキングのことです。
後半にもなってくると友達と昼ご飯を食べに行くようにもなり、卒業するのが寂しくなってきてました。
ホームステイ
初めての海外生活が不安だったので、生活する場所は語学学校が斡旋してくれるホームステイにしました。
ここも1ヶ月の予定でしたが、めちゃくちゃよかったので2週間延長して最後までお世話になりました。
もちろん海外生活も英語も不安だったのですが、ホームステイが1番不安でした。
- ホストファミリーはどんな人なのか?
- ハウスルールはどんなのだろうか?
- 晩ごはんはどんなものなのか?
- 晩ごはんはお腹いっぱい食べれるのか?
- 晩ごはんはおいしいのか?
- 晩ごはんは……
などなどたくさんありましたが、すべて杞憂に終わりました!
ブログでホームステイのことを調べると不安要素がたくさん出てきます。
よく書かれていたのが、
- 洗濯は週に1回
- お風呂は15分まで
- 門限は〜時まで
でした。
それを覚悟して下着や靴下・Tシャツは1週間分以上持って行きました。
しかし、いざ行ってみると、
洗濯?いつでも勝手にしていいよ。
お風呂?好きなだけ入りな。
いつ帰って来てもいいよ。
というなんとも自由な家でした。
ご飯も毎日食べ切れないほど作ってくれていました。
洗濯やお風呂のことを聞いてみたら、水不足の地域ではあるかもしれないけどここは大丈夫とのことでした。
しかし、他の家にホームステイしている人は洗濯週1でした…
ハウスルール的なことで言われたのは、
電気代がものすごく高いから余分な電気は消してね。
風呂場にカビはえるから入ったら窓あけてね。
晩ごはんいらない時は早めに連絡してね。
くらいでした。
普段もよくホストマザーとテレビを観ていました。
私が観るときはわざわざ字幕をつけてくれて、ニュースやクイズ番組を観ながらこれ意味わかる?などコミュニケーションもとってくれていました。
他にもまだ、銀行口座を作るときに一緒に付いてきてくれたことや、私の仕事を探してくれていたことや、到着した空港で迎えの人がいなくて困ってた時に助けてくれたことなど、たくさん書きたいことはあるのですがとりあえずこれくらいにしときます。
あっ、あと私が毎日観ていたリフォーム番組を観れなかった日に録画してくれていたこともありました。
たぶん私のホームステイ先がすごく当たりだったのだと思います。
ほんとによかったです。
第ニ章 予告
私は語学学校の次はファームジョブをしてお金を稼ぐつもりだったのでアデレードではどんどん使ってました。
学校も延長して、飲みにも行って、ご飯も毎日10ドル以上は使ってました。
貯金もそろそろ無くなって来たのでいざファームジョブへ出発です!
語学学校のみんなが最後にお別れ会をしようと言ってくれていたので、最終日はシティ内の宿をとり、翌日に出発することにしました。
そして、なんの連絡も無いまま最終日が終わり次の土地に旅立つのでした…
これが海外クオリティ…
つづく…